万事休す

 

【万事休す】

 

万事休す。最悪の事態だ。絶命必至。

 

このような事態に陥った、もしくは遭遇した事がある人はいるだろうか。

オイラは、幸か不幸か、画のような場面に直面したことがない。が、知り合いに1人だけこの「性的な万事休す」を実体験してしまった優秀な人材がいる。

まぁ実名をあげたところで、だ~れも知りもしない人物なのだが、そいつの名前を仮にT氏としておこう。

 

結論から言ってしまえば、T氏は母親にオナニーをしているところを見つかってしまったのだ。

 

オナニーとセックス。身内に見られてしまった場合に、死にたくなるのはどちらかと言えば、それはオナニーの方であることこれ明白である。

多角的に考察するならば、見られた側のみならず、見てしまった側の身内も、死にたいとまではいかなくとも、ポジティブな気分にはなれないだろう。「あらま、オナニーをしていたのね!ごめんねぇ(笑)。」なんてライトな対応などできるはずもなく、「あっ!!」、である。もう「あっ!!」以外にないであろう。

この身内間に於いてのオナニーの「見られた見てしまった」事案の中でも、私的に「見られた側:息子 / 見てしまった側:母親」のシチュエーションは笑えて好きだ。オイラは絶対体験したくないが、客観的に実に笑えるのだ。

「見られた側:娘 / 見てしまった側:父」は、笑えない。ちっとも笑えない。客観的にも、強烈な悲劇臭を感してしまう。闇の起点だ。

「見られた側:父 / 見てしまった側:息子」、これも面白いなぁ。威厳のある父であればさらに良い。「バ、バカ者!!」と愚かな姿で、もはや威厳なく叱咤する姿は、実に滑稽であり同情さえ誘うが、しかし面白い。

 

なんだか随分話がそれてしまったので、T氏の事案に話を戻すことにする。

とは言っても、もうすでに結論を述べてしまったので、T氏とT氏母親の二者間の状況や空気感を読者も容易に想像できてしまうと思うが、T氏より教えて頂いた珍事件の一部始終の中でも、私的最も笑えたポイントについて一応お伝えしておこうと思う。

 

母親にオナニーしているところを見られてしまった。これだけでも、当時中学生だったT氏にとっては例えようのない恥辱であったとは想像するに易い。

このような場合、「見てしまった側」は、「あっ!!」と発生した後直ちにその場を退くのが定石であると思う。もはや手遅れとはいえ、それ以上に当事者2名間の溝をに深める事はないはずだ。

だが、T氏母親の反応反射はそれではなかった。

 

「なにしてんの」

 

こんな残酷な展開が許されるのであろうか?

傷に塩、泣きっ面に蜂なんてレベルではない。

見られた側のT氏も、哀れなアホである事は揺るがない事実であるが、このプリミティブ過ぎる爆弾の投下もまたど天然である。

「児嶋だよ!」みたいなのりで、「オナニーだよ!」なんて返せる訳がない。

幸い、T氏はこの珍事件をきっかけに命を絶つことはなかった。が、心に深い傷をおったことは言うまでもない。

 

約15年前に起きた珍事件ではあるが、明日は我が身。オナニーなんてしませんという稀有な人は除いて、みなさんもお気をつけて。

 

 

【1人でライブ】

 

最近はバンドではなく1人アコギでライブをする機会が増えた。昔はちょこちょこやっていたのだが、ここ数年は、バンドでしかライブやってない。

 

あくまで私的にであるが、ライブをするならばバンドの方が楽しい。断然バンド方が楽しい。

1人でやるということは、全てが自分の思い通りであり、全ての融通が通る訳だ。よって、うちのあんぽんたんなメンバーのことは気にせずに活動ができるわけだ。

が、それはあくまで単なる過程での話で、本当に決定的で実質的な差異は、音を出すその時に生じる。

 

パワーが違う。

 

くれぐれも言っておきたいのだけれども、これはあくまでも自分がライブをする側としての実感だ。

リスナーとしての実感は全く別。

爆音で演奏するバンドのライブを見てもな~んにも感じない時だってあるし、弾き語りのライブを見て凄まじい衝撃を受ける時だってある。

ピートタウンゼントは、「音楽はパワーとボリュームだ」と言った。

これは、ドラムとエレキベース・ギターで爆音を鳴らす事をいっているのではない。高ぶった気持ち、そして制御さえも効かなくなりそうな、もしくは効かなくなってしまった気持ちの事をいっているのだと思うのです。

だから、ピートタウンゼントが演奏中にどんどんアンプのボリュームを上げていくのも、「あるべき形態」ではなく「高ぶりの体現」だ。だと思う。

パワーというのは、目でもサーモグラフィーでも見えない、そのような気持ちの高ぶりから発せられるエネルギー。

 

オイラが「バンドの方がやってて楽しい」といっているのは、今のところバンドの方が「高ぶる」から、ただそれだけ。

でも、そこが超重要。うちのあんぽんたんなメンバーと共に音を出す時、とても「高ぶる」のだ。つまり幸せなのだ。

 

ただし、最近やってる1人アコギライブは、昔やっていた時とは実感が異なる。

 

昔1人でライブをやっていた頃は、自分がライブをしている間は、ちっとも「高ぶる」ことはなかった。要は楽しくなかった。

今は、バンドほどではないが、「高ぶる」のだ。要は楽しい。

昔と今、何がちがうのか。よく分からないし、別に解析もしない。

ただ、今は1人でアコギを弾いて歌っている時も、イメージは”バンド”だ。

<ドラム:よーすけ,  ベース:よーすけ,  ギター:よーすけ,  ボーカル:よーすけ>。なんかカッコ悪いがそんな感じ。

自分のリズムで自分のベースで自分のリフで、アコギ(オケ)を楽しみ、そして歌っている。

おそらく昔はそうではなかった。「弾く+歌う」の形態がステージの上で揺れていたのだと思う。

 

今後、1人でライブをする回数を増やそうとは皆目思わないが、機会があれば是非やらせて頂きたい。

まぁそれ以前に、もーっともっとバンドでライブをしたいのだけどね。

 

今からスパークスのキモノマイハウスを聴きながらお酒を呑むど。

 

忘れる

 

【忘れる】

 

「忘れる」とは実に素敵なことだ。

人生とかいう漠然とした単位で測るならば、「忘れる」は、生命力のバロメータだ。この言葉を何か他の言葉に置換するならば、う~ん、そうだなぁ、「ま、いっか」なんかが適切かな。

しかし、これは決して容易なことではない。だって、「ま、いっか」は、(個人差はあるにせよ)大抵の場合は「辛さ」や「切なさ」を先ず味わわねばならないし、そいつを消化してはじめて辿り着ける境地なのだから。

だから、大袈裟に聞こえるかもしれないが、「忘れる」は生きていく力なのだ。この力を行使できずして、変化は望めない。ある時点に停滞し続け、おそらく閉鎖的にならざるを得ないであろう。

勘違いしてもらいたくないので注釈しておくと、オイラは、「忘れる」事ができることが優秀で、できない事が劣っているとは皆目思っていない。但し、「忘れられない」には、変化は望めないとは思っている。

消化した後も、記憶として、頭の中の自分年表に新たに記されるのだろうが、これは、「忘れられない」とは全く質が違う。「忘れる」は、記憶行きの列車に乗り、「忘れられない」は、駅のホームで、ずっと何かを待っているのだ。

しかし、上述した内容とは別に、そもそも「忘れる」という事案に関して、その原因が自分の「アホマヌケ」に起因することもしばしばあることを忘れてはならない。

オイラは、日々の暮らしの中で様々な「アホマヌケ」による「忘れる」と遭遇する。しばしば遭遇する。かく言うオイラも、しばしば「アホマヌケ」による「忘れる」を発生させる。

今回は、初回ブログということで(あまり関係ないが)、ベティ・ザ・トーイのメンバーにまつわる「アホマヌケ」による「忘れる」の発生事案を記してみたいと思う。

 

<第一事案:ゆうちゃんの自損>

あれは2012年か2013年の夏のとある日ことであった。

当時は、ベティ・ザ・トーイではないバンドであったが、ゆうちゃんとは当時から一緒にバンドをやっていた。

高円寺の某スタジオにてバンド練習を行っていたのだが、その日、ゆうちゃんは何やらご機嫌なご様子。

 

「靴を買っただよー」

 

(ほうほう。およ?ドクターマーチンかしら?)

 

「ドクターマーチン買っただよー」

 

どうやら練習の前に、ドクターマーチンの靴を購入したらしい。購入後、そのままスタジオに直行してきたという訳である。

そして、バンド練習を終え、ちょうど日も暮れ始めていたこともあり、「飲んでいきますか~」ってことで、オイラとゆうちゃん、それから当時のバンドのドラマーのK氏の3人で飲みに行くことになった。皆それぞれ機材を持ち、ゆうちゃんは、ドクターマーチンを自転車のカゴに入れ、スタジオからほど近い高円寺の高架下にある居酒屋へと向かった。

 

全員:「乾ぱ~い」(←自転車のカゴにマーチン忘れてる)

 

宴は始まった。

 

ゆうちゃん:「次のライブのセットリストどうすっかねぇ」(←自転車のカゴにマーチン忘れてる)

 

宴は続く。

 

ゆうちゃん:「サージェントペパーズもいいけど、最近はリボルバーの方がよく聴くあるよ~」(←自転車のカゴにマーチン忘れてる)

 

宴は続く。

 

ゆうちゃん:「ハイスタのAIR JAMのDVD買った?あれ、たまらんかったとよ~」(←自転車のカゴにマーチン忘れてる)

 

宴は続く。

 

ゆうちゃん:「マイスタのHAIR SHAMのティープイティー買った?まれ、はまらんたったとよ~」(←結構酔っ払てきた & 自転車のカゴにマーチン忘れてる)

 

宴は続く。

 

ゆうちゃん:「もろもろ帰りまふか~」(←自転車のカゴにマーチン忘れてる)

 

お会計。

 

ゆうちゃん:「あれ!?マーチンがねぇ!?」(←そりゃそうだ)

 

時すでに遅し。盗難。完全なる自損である。

もしかしたらゆうちゃんは、当時のこの事案を今でも「忘れられない」でいるかもしれない。駅のホームでドクターマーチンを待ち続けているかもしれない。

いや、もう流石に記憶行きの列車に乗ったかもね。

 

<第二事案:ヒデブーの自損>

つい最近の出来事。

オイラ宅にて、ヒデブーと酌を交わしていた時のことだ。

時間が経つのも忘れて、2人でレコードを聴きながらお酒を呑んでいたのだが、ふと時計に目をやると

 

二人:(およ?もうそろそろ終電の時間帯でねぇですか。)

 

オイラ:「泊まってくかい?」

 

ヒデブー:「いや今日は帰りますですー。」

 

ってな訳で、オイラは玄関までお見送り。

 

オイラ:「忘れ物はねぇですかー?ヒデブーは忘れ物けっこう多いからねぇ(笑)」

 

ヒデブー:「ば、ばか言っちゃいけねぇですよ!何も忘れちゃいねぇですよ!」

 

オイラ:「ほうでっか。そんじゃあまた~」

 

ガチャンと扉が閉まり、オイラはトイレでおしっこをしてから部屋へと戻った。

そして、録画しておいた「直虎」と「ワイドナショー」を観ようとソファーへ腰掛けた。

 

『カサッ!』

 

何かが腰にあたった。

 

オイラ:(ん?なんじゃこりゃ?......こ、こりゃキーケースではございませぬか!!)

 

オイラは、直ぐに携帯を手に取りヒデブーに電話をした。が、出ない。

 

オイラ:(おーい、ヒデブー!あんた、お家入れんですぞー!はよー気がつきんしゃーい!)

 

数分後、ようやくヒデブーから電話がかかってきた。

 

ヒデブー:「いや~、ギリギリ終電間に合いまいしたよ!電車乗ってたんで電話出れなかったっすー。どうしました?」

 

笑いをこらえるのが大変であったのは言うまでもない。まさに「アホマヌケ」であった。

オイラは冷静を装い発声した。

 

オイラ:「ヒ、ヒデブー......、キーケース......」

 

ヒデブー:「おわっ!?」

 

結局タクシーでオイラ宅にカムバックしたものの、もう電車など走っているはずもなく、ヒデブーはオイラ宅にお泊まりするはめに。

ま、無くした訳ではないので自損ではないが、やはりこれも「アホマヌケ」なエピソードとは言えよう。

 

 

 

という訳で、今回はゆうちゃんとヒデブーをネタに書かせて頂いた訳だが、明日は我が身、こんな事案はいつでも起こりうるのだ。

ただ、おそらくゆうちゃんの事案もヒデブーの事案も、もはや記憶行きの列車には乗れていると思う。彼らは今でも元気だ。素敵だ。ユニークだ。

やはり、「忘れる」とは実に素敵なことなのである。

 

 

おわり。

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